知り合いの自称DJ達のどこがあかんのかって
偏ったジャンルしか聴かん事
歴史を知らん事
それが本業じゃない事
だから作る音楽も聴く音楽も下品やねんな
価値観が収束しすぎ

うすうす気づいている方もいると思いますが
私のタンブラーの記事はツイッターの流用が多分に含まれております
ツイッターとは言っても自分のアカウントでの発言のみです
他人の発言の流用は一切しておりません
なんでそんな事してるかって言うと
このブログを始めたきっかけというのが
友人から
「君のツイートはすごいおもしろいと思うんだけど
それがTLに埋もれていってしまうのが勿体ない ブログをやるべき」
と言われたからなんですわ
とうぜんこれはマイノリティの意見なんでみんながそう思ってるわけではないです
しかしながら自分のモチベーションの大きな後押しになりまして
自分の発言の保存を目的にタンブラーをブログとして始めた次第でございます。
流用以外の記事も書いております
当然ツイッターの発言をそのまま流用したところで
中途半端、なおかつ無粋な感じもするので
ブログとして流用するにあたって多少の加筆、修正は行っております
臭い詩なのか、それとも論文なのか、あるいは体験談なのか
よくわからない感じのこのブログですが
基本的には日記というよりも表現だと思っていただきたい
よく意味がわからないとつっこまれる事も多々ありますが
自分も理路整然と記事を書いてるわけではなく気分に左右され
詩っぽくしたりエッセイみたいにしたりだとかなんでもありで
ようは これが私の一つの人格表現だという事で楽しんでいただけると
幸いです。
やっぱり文章を書くと楽しい
書く事でいろんな発見がある
頭の中では気体だったものが個体になる感じ
自分の中でも思想が整理されてスッキリするんだよね
言葉には色がある
疎密がある
質がある
点がある
線がある
まだつたないけれどもこのブログはしばらくは
続けていきたい
ねがわくばみんなのTLの片隅にこのくっせえ言葉達が
存在することをお許しください
ちゃぱちゃぱ

他人に序列はつけない
そう決めてから
不思議と友達が増えていった
サークルの後輩も自分の事を慕ってくれるようになった
他人は一生他人だって気づいてたんだけど
なんかこう
俺って寂しがりやだから
友達だとか親友だとか
気にしてないってのは嘘
なんか本当にもうどうでもいい名称だよね
みんな他人だよね
バイバイ
ってな感じだけど
他人じゃないと気なんか使わんよなあ
それが案外いいと思ってるわけ
俺は

残酷、非道が戦争の怖さでしたっけ
そういう戦争映画もうわたしいいんですけど
そんなん戦争じゃなくても起きてるじゃん
戦争の怖さって人の人格を変えてしまう事なんじゃねえのかな
戦争を表現する上で一番大事なのってその変化を
浮き彫りにする事なんじゃねえのかな

人の死=悲しいものっていう固定観念が映画をつまんなくしてるんじゃねえの
死生観こそ監督の思想が如実に現れるんじゃねえの
その涙は本物?
本当の感動ってそんな物でしたっけ
人生って素晴らしいなと思う事に
本当の感動があるんじゃねえの
月の満ち欠け
海の表情
どこまでも続く田園地帯
夕暮れの寺院
子猫が暮らす廃墟
バレエのシューズ
人影の群れ
木漏れ日の氾濫
見知らぬ人の笑顔
他愛もなく過ぎてゆく映像達に
涙するならば
人生ってすばらしいって思えるんじゃねえの
死んだ犬が遠くて吠えてる
その近くで死んだばあちゃんが農作業している
土に雨がしみ込んだ匂い
空には轟音と共にジェット機が通り過ぎていく
死んだじいさんはじきに見えなくなった
あぜ道で死んだ友達が手を振っている
名前を思い出せない事に彼らは怒るだろうか
首が急に堅くなって振り向く事ができなくなる
踏み出そうにも足が動かないからどうしようもない
水たまりには死んだ俺が写っている
ちょっと笑ってる
水たまりが干上がった
お父さんへ
お母さんへ
もう何も見えない
何も聞こえない